2015年09月18日



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誰がどうであろうと、朝が来るんだなと思った通勤路。
何が起こっても、しばらくずっと日は上って落ちていく。

地球も太陽もいつか滅びるんだという。
まったく実感など無く生きている。

友達のお腹にいる子供のことをおもう。
わたしが知っている範囲の人だけが幸せであればいい、って思ったけど
その子供の子供は幸せでなくていいのかな?
ううん、いやだよ。

誰だって話せば分かり合えるって、わたしも思ってた。
でもやっぱり限界があるんだよね
感覚が違いすぎる人だって、やっぱりいるからうまくいかないんだね。

まとまらないから、わかってもらえなくても構わないんです。
わたしはわたしの責任で生きていく。

posted by 椿 マナミ at 23:37| Comment(0) | その他写真 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月07日

日常



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言えない会えない伝わんない思い通りにはいかない、それでもわたしはわたしのなかを生きる。
posted by 椿 マナミ at 01:52| Comment(0) | その他写真 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月01日

慰霊碑



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宣言
化学兵器は無差別かつ広範囲に人間を殺りくすることでは核兵器、生物兵器と同じであるから、ただちに廃絶されなければならない。
ここ大久野島には、かって東京第二陸軍兵廠忠海製造所があり、国際条約で禁止された毒ガスを密かに製造していた。
事情を知らされることなく働いた工員、徴用工、学徒、勤労奉仕ほかの人々は、働いているときはもとより仕事をやめた後も呼吸器などの毒ガス障害に悩まされ、癌の恐怖におびえた毎日を送っている。
死没者はすでに千名を越えたが、その多くは毒ガス障害の解明のため身をささげ、国からの救済を開くべく、その礎となった人々である。
ここに毒ガス障害による死没者の冥福を祈って慰霊碑を建立し、再びこのようなことを繰り返さないよう広く世界に警告する。
  昭和60年5月12日 竹原市長 森川 繁喜


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大久野島の慰霊碑全文です。
わたしの生まれ年に建ったもののようです。
posted by 椿 マナミ at 23:40| Comment(0) | 海と旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

負の遺産



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大久野島では戦争に使うための毒ガスを作っていたそうです。
第二次世界大戦では化学兵器の使用が禁止されていたにも関わらず、この場所で秘密裏に毒ガスを作っていたことが、慰霊碑にもしっかりと刻まれています。
そんな島の現在の発電所の写真です。
posted by 椿 マナミ at 23:03| Comment(0) | 海と旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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